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言い訳しても仕方なし。撮りに行かねば始まりません。もっともっと線路傍で過ごさねば。ご覧になっていただいた皆様ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。(2006.5.1鹿島鉄道 浜-玉造町)
2006年12月31日 (日) 写真, 鉄道 | 固定リンク Tweet
掉尾を飾るにふさわしい絵ですね。 プロになったら?(^^) マジで写真集買うよ。一冊だけど。
あけましておめでとうございます。
投稿: michael | 2007年1月 1日 (月) 02時08分
あけましておめでとうございます。 Uターンしてきました。
プロやハイアマって言うのは、これを気に入るまで妥協せずに撮りこむのでしょうが、それができない私です。
そんな写真ですけど本年もどうぞよろしくお願いします。
投稿: KaTSU | 2007年1月 2日 (火) 16時36分
ここに書くことでもないけれど…(^^; そんな妥協しないだけの執念なんて、今は昔ですよ。 いったい、いつから鉄道は被写体になったんだ。 カッコいい写真を見るたび、そう思う私です。 へそまがりなんですけどね。 実は一番価値があるのは形式写真だったりするし…。 次は運行の記録…?これってジャ道か(爆)
投稿: michael | 2007年1月 3日 (水) 01時22分
ええと、2行目の意図が掴みかねるのでどう書くか迷っているわけなんですが。
私(だけでなく恐らく情景を撮りたい人たちの多く)は、被写体であるところの光景を脳内発酵させた状態で画像にしたいんであって、単なる被写体ではないと思うんですがね。言ってみれば模型のレイアウトみたいなもの。ずうっと持っている自分勝手な印象をどうやってその場の風景を借りて形にしますか?ってなところ。
今は昔ですか?
投稿: KaTSU | 2007年1月 3日 (水) 23時42分
【お詫び】ごめんなさい…今自分で読んでみても、何が言いたかったのかよくわかりません。酔っていたんですね。
たぶん…私の場合、情景を「ありのまま、自然なもの」(でなければならない)などと自分の中で勝手に定着させているんだろうと思います。 だからプロやハイアマが「気に入るまで妥協せず撮りこむ」っていうのに、いやそれは違うだろうって即座に反応しちゃったんですね。伝わるものがあれば十分で、やりすぎは嫌味だと…そんなことが頭を通り過ぎてたみたいです。 今は昔っていうのも謎(自分で書いてておいおい・笑)。強いて言い換えれば、執念でモノにできるような絵は、きっと昔に誰かが撮ってるよと。だから今更同じことやってもつまらないんじゃない?…ぐらいの問いかけの意味です。
>それができない私です。 いずれにしても、それで全然いいんじゃない?って言いたかっただけなのです(^^;
投稿: michael | 2007年1月 6日 (土) 22時51分
お詫びなんてものは必要ありません。 仰りたいことが分かれば十分です。
土門拳と植田正治の話も不勉強で引き合いにだせませんが、いや、そんなレベルではもちろんなく、主観のレベルでさえ遥か彼方なわけです。そして、多分そうそう変わらないのだと思います。刷り込みが褪せないかぎり。
投稿: KaTSU | 2007年1月 7日 (日) 21時17分
う~難しい。今度は私がわからなくなってきちゃいました。やっぱり最初から何も書くべきではなかった。 (笑) 今も少し酔ってますが…私ですら、まあ数千枚やそこらは鉄道の写真って撮ってますよね、写真といえないものも含めてですけど。 で、そのド素人とは言え、やっぱり色々な意味で鉄道って写真にするのが厳しい(注)とは感じているわけです。 (注:「厳しい」っていうのは「難しい」という言葉と単に使い分けたかっただけで、正しく言語的な意味はありません。)
ほら…動くし(^^)、天候は変わるし、機嫌をとることもできないし、角度は無限ではないし。 つまり、スタジオで撮る写真とは、違う。 でも…なのにあたかも、“決め過ぎ”な写真ってあるじゃないですか。私はそれって、違うと思う。うん、そもそも言いたかったことを思い出した。沿線はスタジオではないし、鉄道はモデルじゃないです。 それが「いつから被写体になったんだ」と書いた意味でした。
もっとも、何度も気に入るまで通って撮りこむことをダメとか言うつもりは毛頭ないし、もちろん言う資格はないです。ただ、本当に偶然に通りすがりに見ることのできた情景って、とても情報の多いもので、情報の豊かなもので、鉄道に全てを語らせるかのように純化した作為的な絵とは、違うだろうと思うのです。
この『あの丘こえて』は、そういう“作為”のない、とてもいい写真だと思います。 ガラス内反射の写りこみ?画面下の桟らしきもの?…純度だけ追求すれば、要らないものかもしれないけど、でもこれこそが、いつか見たかもしれない原風景です。 写真が純度の芸…絵画と同じ抽象の芸…だという点は否定しないけど、ともかく…線路が真っ直ぐなだけでも、「参りました」。
何度もごめんなさいね。 ただ江ノ電については、貴方は偶然通りかかる人じゃないわけで、以上はあてはまらないですよ。びっくりする構図で見せて欲しい、被写体です。
投稿: michael | 2007年1月 8日 (月) 03時18分
わからない話ではありません。 でも、これは人によって、あるいはその人の時によって片方ではなく両方でも、あるいは宗旨替えもあり得ると思います。絶対非演出を貫くならそれもいいでしょうし、作りこんでも(本当のスタジオと違って与えられた状況の選択しかできないわけですけど)よいと思うし、どちらも私にとっては楽しい行為です。
ちなみに、この写真もワイパーや下の窓枠は意識して入れてますし、夕景もイメージに近づけるためホワイトバランスを変えて強調してます。これは作りこみではない?
投稿: KaTSU | 2007年1月 9日 (火) 22時24分
まったく片方も両方も宗旨替えもありですね。 楽しい行為であれば、最高です! >これは作りこみでない? 作りこみかな?…どうでもいいや。 窓枠はやっぱり意識して入れてるんですね。 ありがとう(^^)
投稿: michael | 2007年1月 9日 (火) 23時02分
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掉尾を飾るにふさわしい絵ですね。
プロになったら?(^^)
マジで写真集買うよ。一冊だけど。
あけましておめでとうございます。
投稿: michael | 2007年1月 1日 (月) 02時08分
あけましておめでとうございます。
Uターンしてきました。
プロやハイアマって言うのは、これを気に入るまで妥協せずに撮りこむのでしょうが、それができない私です。
そんな写真ですけど本年もどうぞよろしくお願いします。
投稿: KaTSU | 2007年1月 2日 (火) 16時36分
ここに書くことでもないけれど…(^^;
そんな妥協しないだけの執念なんて、今は昔ですよ。
いったい、いつから鉄道は被写体になったんだ。
カッコいい写真を見るたび、そう思う私です。
へそまがりなんですけどね。
実は一番価値があるのは形式写真だったりするし…。
次は運行の記録…?これってジャ道か(爆)
投稿: michael | 2007年1月 3日 (水) 01時22分
ええと、2行目の意図が掴みかねるのでどう書くか迷っているわけなんですが。
私(だけでなく恐らく情景を撮りたい人たちの多く)は、被写体であるところの光景を脳内発酵させた状態で画像にしたいんであって、単なる被写体ではないと思うんですがね。言ってみれば模型のレイアウトみたいなもの。ずうっと持っている自分勝手な印象をどうやってその場の風景を借りて形にしますか?ってなところ。
今は昔ですか?
投稿: KaTSU | 2007年1月 3日 (水) 23時42分
【お詫び】ごめんなさい…今自分で読んでみても、何が言いたかったのかよくわかりません。酔っていたんですね。
たぶん…私の場合、情景を「ありのまま、自然なもの」(でなければならない)などと自分の中で勝手に定着させているんだろうと思います。
だからプロやハイアマが「気に入るまで妥協せず撮りこむ」っていうのに、いやそれは違うだろうって即座に反応しちゃったんですね。伝わるものがあれば十分で、やりすぎは嫌味だと…そんなことが頭を通り過ぎてたみたいです。
今は昔っていうのも謎(自分で書いてておいおい・笑)。強いて言い換えれば、執念でモノにできるような絵は、きっと昔に誰かが撮ってるよと。だから今更同じことやってもつまらないんじゃない?…ぐらいの問いかけの意味です。
>それができない私です。
いずれにしても、それで全然いいんじゃない?って言いたかっただけなのです(^^;
投稿: michael | 2007年1月 6日 (土) 22時51分
お詫びなんてものは必要ありません。
仰りたいことが分かれば十分です。
土門拳と植田正治の話も不勉強で引き合いにだせませんが、いや、そんなレベルではもちろんなく、主観のレベルでさえ遥か彼方なわけです。そして、多分そうそう変わらないのだと思います。刷り込みが褪せないかぎり。
投稿: KaTSU | 2007年1月 7日 (日) 21時17分
う~難しい。今度は私がわからなくなってきちゃいました。やっぱり最初から何も書くべきではなかった。
(笑)
今も少し酔ってますが…私ですら、まあ数千枚やそこらは鉄道の写真って撮ってますよね、写真といえないものも含めてですけど。
で、そのド素人とは言え、やっぱり色々な意味で鉄道って写真にするのが厳しい(注)とは感じているわけです。
(注:「厳しい」っていうのは「難しい」という言葉と単に使い分けたかっただけで、正しく言語的な意味はありません。)
ほら…動くし(^^)、天候は変わるし、機嫌をとることもできないし、角度は無限ではないし。
つまり、スタジオで撮る写真とは、違う。
でも…なのにあたかも、“決め過ぎ”な写真ってあるじゃないですか。私はそれって、違うと思う。うん、そもそも言いたかったことを思い出した。沿線はスタジオではないし、鉄道はモデルじゃないです。
それが「いつから被写体になったんだ」と書いた意味でした。
もっとも、何度も気に入るまで通って撮りこむことをダメとか言うつもりは毛頭ないし、もちろん言う資格はないです。ただ、本当に偶然に通りすがりに見ることのできた情景って、とても情報の多いもので、情報の豊かなもので、鉄道に全てを語らせるかのように純化した作為的な絵とは、違うだろうと思うのです。
この『あの丘こえて』は、そういう“作為”のない、とてもいい写真だと思います。
ガラス内反射の写りこみ?画面下の桟らしきもの?…純度だけ追求すれば、要らないものかもしれないけど、でもこれこそが、いつか見たかもしれない原風景です。
写真が純度の芸…絵画と同じ抽象の芸…だという点は否定しないけど、ともかく…線路が真っ直ぐなだけでも、「参りました」。
何度もごめんなさいね。
ただ江ノ電については、貴方は偶然通りかかる人じゃないわけで、以上はあてはまらないですよ。びっくりする構図で見せて欲しい、被写体です。
投稿: michael | 2007年1月 8日 (月) 03時18分
わからない話ではありません。
でも、これは人によって、あるいはその人の時によって片方ではなく両方でも、あるいは宗旨替えもあり得ると思います。絶対非演出を貫くならそれもいいでしょうし、作りこんでも(本当のスタジオと違って与えられた状況の選択しかできないわけですけど)よいと思うし、どちらも私にとっては楽しい行為です。
ちなみに、この写真もワイパーや下の窓枠は意識して入れてますし、夕景もイメージに近づけるためホワイトバランスを変えて強調してます。これは作りこみではない?
投稿: KaTSU | 2007年1月 9日 (火) 22時24分
まったく片方も両方も宗旨替えもありですね。
楽しい行為であれば、最高です!
>これは作りこみでない?
作りこみかな?…どうでもいいや。
窓枠はやっぱり意識して入れてるんですね。
ありがとう(^^)
投稿: michael | 2007年1月 9日 (火) 23時02分